巨人大全 前書き
このウェブサイト“kyojin.com”を訪れる皆さんのほとんどは、ニンテンドウ64DD用ソフト『巨人のドシン』の発売を、今か今かと心待ちにしている人々なのではないでしょうか。だからこそ、こうして、どんな情報も見逃すまいと、ウェブサイトの隅々まで目を通しているのでしょう。私もそんな『巨人のドシン』早すぎるファンの一人です。
でも、なかなか『巨人のドシン』は姿を現しませんから、私たちはヤキモキしています。なにしろソフトの発売日はおろか、ハードの発売日すら私たちは知らされていないのです! また、プレイヤーは巨人を操作し、ドンドン大きくなっていくことが目的のゲームらしいぞ、ということはわかっていても、果たして私たちは何をすればいいのか、どんな仕掛けで私たちを楽しませてくれるのか? という肝心な部分はまだまだわからないことばかりなのです!
さて。とは言っても、このような疑問点はやがてゲーム雑誌やこのウェブサイトで情報が公開される日が来れば、明らかになるでしょう。ですから、私たちはそれまでは期待に胸を高鳴らせて待っていましょう。でも……私たちにできるのはそれだけでしょうか? 私たちはこれまでに公開されている情報をもとに、一体『巨人のドシン』がどんなゲームになるのか思いをめぐらせても良いはずです。「自分が巨人になる(巨人を操作する)って、どんな気持ちだろう!?」という具合に。
さあ、『巨人のドシン』のゲームコンセプトを初めて知った時のことを思い出してください。誰もが「巨人って、あの巨人?」「どうして巨人なの?」と思ったことでしょう。私はゲーム『巨人のドシン』について考えてみるために、最初に感じた、あの戸惑いまでさかのぼって「巨人」そのものについて考えてみたいと思います。「巨人」について、全く知らないという人はいないでしょう。「巨人」といったら、誰もがイメージするように、とにかく、あの大きな「巨人」なのです。でも、そんな「巨人」のイメージはいつのまに、私たちのイメージの中に住みついてしまったのでしょう? 一体どうやって? いつから?
私はこの「巨人大全」でゲーム『巨人のドシン』からは一歩離れて、神話や伝説、童話、はたまたSF物語などをひも解き、その中で「巨人」が、どのように描かれ、語り継がれ、また、どのように人々にイメージされてきたかを調査・研究してみたいと思います。このことはただ「巨人」について博学的な知識を得られるということだけではなく、『巨人のドシン』が発売するまで、どんなゲームなのか想像して楽しむ一助にもなるでしょうし、発売後のプレイをより一層楽しみ、ゲームに込められているテーマを探しだすヒントになるかもしれません。
では、よろしければ、このちょっとした巨人をめぐる小論におつきあいください。
サガラッチ(1998年10月南の島にて)
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