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 これまで、この「巨人大全」では、神話や伝説、民話の中に登場する巨人たちを紹介してきました。

 しかし私たち現代人は、大地を支えているのは巨人ではなく、地球は宇宙に浮かんだ球体であることを知っています。また、地球上に様々な地形が存在するのも、巨人の創意による造形などではなく、長年にわたる地殻変動の末に現在のような景観をもつ世界になったのだということも知っています。

 巨人のような大きな生物が実在することなどありえないことを、合理的に説明できる知識のある人もいるでしょう。現代人であるならばほとんどの人が、現在はもちろん、過去のどの時代にさえも巨人なんて存在したことはなかった、と明言することをためらわないのではないでしょうか?

 神話や民話に登場する巨人は、正確な科学的知識を持っていなかった昔の人々による想像の産物であるとするのが、一番納得しやすい考え方でしょう。また、こうした物語を語ったり聞いたりしたとき、当時の人々はどのような気持ちになったかを考えてみるのもよいでしょう。

 

 さて、それはそうとしても、昔の人々が見たこともないはずの巨人の存在を信じ、あたかも実際の出来事であったかのように、巨人の登場する神話や民話を語り継ぐことができたのはどうしてだろう、という疑問も浮かんできます。巨人の存在や神話・民話の信憑性を疑う人はいなかったのでしょうか? 一体どの程度、こういった話を信じていたのでしょう? それとも、ちっとも信じていなかったのでしょうか。作り話だとわかった上で、語っていたのでしょうか。

 

 典型的な巨人たちは人里離れた地域に暮らし、人を食べ、美しい娘をかしずかせます。また、その傍若無人なふるまいは、常に人々の迷惑となります。このように、人間としての規範や道徳を打ち破る存在であることを、巨人はその行為だけでなく、並外れた巨大な体躯でもって暗示しているのです。そして、その巨人は人間として最も理想的なモデルである英雄によって倒されるのです。こういったエピソードは、人々にどのような心理的影響を及ぼすでしょうか? 何らかの道徳的効果があったのかもしれません。

 

 おそらく中世ヨーロッパの人々は、かなり真剣に巨人が存在している、あるいは存在していたことを信じていたようです。なぜなら、旧約聖書の中に巨人が登場するからです。旧約聖書の『創世記』には「当時もその後も、地上には巨人たちがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の英雄であった」とあります。その後、あの有名なノアの洪水によって、この巨人たちのほとんどが洗い流されてしまったので、今では巨人が存在しないのだ、というのです。 

 巨人が存在したことを疑うことは、キリスト教の教えを疑うことになるのです。中世ヨーロッパの人々はキリスト教会の権威は絶対ですから、旧約聖書に書いてあることはちょっと変だなあと思っても、そんな疑いは頭から振り払って、何が何でも巨人が存在していたことを信じようとします。

 しかし旧約聖書中で巨人について書かれている一文は、非常に簡単なものだったので、巨人のどのように存在したかについては様々な解釈がなされました。そのような巨人についての研究は「巨人学」と呼ばれ、とても重要な学問のひとつでした。

 

 そんな「巨人学」のなかには、昔、すべての人間が巨人であったとする説もありました。1718年のアンリオンの説は、一番最初の人間であるアダムとイブの身長は約40メートルほどだったとし、アダムとイブの原罪(リンゴを食べちゃったってヤツ)以来、その罰として人間は身長が代々低くなりつづけ、イエス・キリストの誕生により、やっとその罰は許され現在の身長におちついたというのです。実際、中世以前の人々は一般的に、子の身長が親より高くならないと考えていたようです(現在とは逆ですね)。

 さて、巨人学者たちが、巨人の存在を証明する拠り所としたのは、時折、地中か掘り出されることのあった巨大な化石です。当時、ヨーロッパの地上には象も鯨もいませんでしたし、太古の昔に恐竜やマンモスのような巨大動物がいたことなどには考えも及びませんでしたから、これらの化石は、どんなものであれ、ノアの洪水以前に存在していた巨人の骨だと考えられたのです。地中から掘り出された化石は、巨人の化石と称され、教会や博物館に保管されたり、王のコレクションとなったり、見せ物として人気をよんだりしました。

 しかし、次第に自然科学が発達していくに従って、これらの化石はマンモスや恐竜、鯨の化石であることが判明していきます。これらの事実は頑なにキリスト教を信じる人々には受け入れ難いことでした。

 16世紀から19世紀は、自然科学者たちと巨人学者によってはげしい論争が行われた時代です。その頃のヨーロッパ社会はカトリック教会の支配の時代であった中世が終わり、大航海時代、ルネサンス、宗教改革を経て近代社会へと変遷していく時代でした。人々は世界について多くの正しい知識を得るようになっていきます。

 

巨人学者vs自然科学者の論争年表を別に作成したので見てください

 

 この時代、巨人たちがもっとも生き生きと活躍する場になったのは、もはや神話や伝説、民話といったものの中ではなく、文学作品の中でした。

 フランスの学者フランソワ・ラブレーは中世の伝説物語『巨人ガルガンチュワ大年代記』を真似て1532年に『第二の書パンタグリュエル物語』、1534年に『第一の書ガルガンチュワ物語』を執筆、出版します。

 この物語は中世ヨーロッパのユートピー国の王、ガルガンチュアとその息子パンタグリュエルの活躍を、世間にたいする風刺をちりばめておもしろおかしく描いて、当時のフランスの民衆に大好評を博しました。

 ガルガンチュアは生まれたときから桁外れに大きく、賢い子でした。ガルガンチュアは成長するとパリへ留学しあらゆる学問や武術、スポーツ、芸術をたしなみます。後に隣国からの侵略を受けた祖国を守るため国に戻ります。ガルガンチュアはその健全な精神と肉体で、横暴な専制君主や愚かな聖職者たちの欺瞞をあばいていきます。そのためカトリック教会からは禁書にされてしまいますが、当時のルネッサンスの気風が溢れる人間賛美の物語となっています。ガルガンチュアの巨大な体躯は健全な精神の象徴として描かれたのです。

 

 ルネッサンスはさておき、大航海時代の影響は巨人物語にどのような影響を与えたでしょうか? この時代は、数々の冒険家たちの偉業によって、世界の果てをアトラスという大巨人が支えているなんてことがない、ということを人々は知るようになりましたが、彼らの旅の報告には多くの不思議な出来事が含まれていたことも事実です。

 1519年に世界一周の旅に出たマゼランに同行したピガフェッタは、パタゴニアで巨人に出会ったことを報告しています。ピガフェッタたちヨーロッパ人は、その巨人の腰までしか背が届かなかったそうです。もっとも、この話は原住民の大男と出会ったことを誇張して表現したのでは、とも思われますが……。何にしても、この時代の人々はまだ、世界のどこかに巨人地方とでもいうべき、巨人ばかりが暮らす土地があるのかもしれないとは考えていたようです。

 

 幾多の冒険者たちが書いた旅行記が、人々の夢をかきたてました。そんな旅行記の形式を借りたひとつの空想物語が1726年に出版されました。皆さんにもお馴染みの『ガリヴァー』です。 船乗りである主人公・ガリヴァーが、漂流の末、リリパット(小人国)、次にブロブディンナグ(大人国)に流れ着くエピソードは現代でもあまりにも有名です。『ガリヴァー』もまた、荒唐無稽で、当時の(もちろん現代でも有効ですが)社会や人間を皮肉った、風刺の効いた物語です。 ガリヴァーはブロブディンナグで、自分が小人として扱われると、逆にリリパットで巨人として扱われていたころのことを思い出し、次のように述懐します。

 

「哲学者の説によれば、大きいとか小さいとかは、要するに比較の問題だそうだが、たしかにそのとおりだ。ひょっとすると、あのリリパット人にしても、運命のいたずらで、ちょうどわたしが彼らを発見したように、自分たちより小さい人間の住んでいる国を発見しないとはかぎらない。反対に、この巨大な人種にしたところで、どこかまだ発見されていない世界の果てで、今のわたしと同じように、くらべものにならないほど巨大な人間に出会うようなことがぜったいにないとは、いえないだろう」(『ガリヴァー旅行記』J・スウィフト作/坂井晴彦訳)

 

 また、ブロブディンナグの人々の肌を見て、まるで私たちが顕微鏡で自らの肌を見たときのように、なんとシミだらけ穴だらけで醜いのだろうと思いますが、リリパットではガリヴァー自身がまた、そのように見られていたことも思い出します。

 このように『ガリヴァー』はリリパットやブロブディンナグの人々の身長差を通じて、物事に対する相対的な視点を持ち込んでいます。

 

 18世紀にはフランスのヴォルテールによって『ガリヴァー』を参考にした物語『ミクロメガス』も書かれています。

 シリウス星系の住人である若者・ミクロメガスは身長が約39キロメートルもあります。彼は宇宙を旅し、やがて土星へやってきます。土星で彼は身長1949メートルの小人と出会います。意気投合した二人は地球へやってきますが、地球の人間は小さすぎて彼らの目では直接見ることができません。レンズを利用してようやく地球人の姿を確認することができます。地球人は優れた測量技術でミクロメガスたちの身長を、計測しミクロメガスを驚かせます。しかしミクロメガスの精神とは何か? 物質とは何か? という質問には満足に答えられません。ただ、一人の者がこのように答えます。

「私は何一つ断言しようとは思わないので、この世界では我々が思っているより遥かに多くの事柄が可能なのだと、喜んで信じております」(『ミクロメガス』ヴォルテール 川口顕弘訳)ミクロメガスは、この者をまったく愚かだとは思わず、にっこり笑います。『ミクロメガス』は、このように哲学的な問答に終始します。なかには、はっきりと神への信仰を批判するセリフも含まれています。

 このように、ただ巨大であるという共通点を持って描かれる巨人たちも、物語中でどのような役目を負っているかは、時代により社会の変動と連動し、変化していったのです。

 

 そういえば、自然科学者と巨人学者の論争は、その後どうなったのでしょうか? −巨人学者vs自然科学者論争年表− を見てください。このなかで、巨人学者たちを特に不利な状況に追い込んだのは、ロンドンの自然科学者サー・ハンス・スローンが1728年に発表した論文『紀要』です。彼は、これまで巨人の骨とされてきた各地の展示物のほとんどが鯨や象などの化石であることを証明していきます。19世紀になってからは、古生物学や進化論が発達し、太古の地球には多くの絶滅した動物種がいたことがわかってきます。キュヴィエ男爵の著書『化石』では、いくつかの巨人の骨が実際には恐竜の化石だったことを証明しています。

 金儲けをたくらむ人が巨人の骨と偽って、公開された化石もあります。1613年にフランス国王・ルイ13世の目にも触れることになった、巨人テウトボックスの遺骨は、外科医マズュイエの完全なつくり話だったことが翌年に発覚します。彼はテウトボックスの墓を自分でつくって、地元の石工たちに嘘の証言をさせたのでした。

 

 また、1869年、ニューヨークのカーディフで発見された身長3.2メートルの石化した巨人は見せ物として大好評になり、5万人以上の人々が見物しました。しかし、この巨人を石膏で複製して見せ物にするライバル業者が現れました。この巨人を見せ物にする権利を争って裁判まで開かれることになりますが、裁判所はこの石化した巨人が本物であるという証明がされれば判決を下すこととしました。といっても、もともとこの石化した巨人は、人々をペテンにかけるために彫刻家によって制作された物だったのですが。

 

 なんだかすっかり、その偉大な存在感を失ってしまった巨人たちですが、全く存在を忘れられてしまったわけではありません。ヒマラヤのイエティ(雪男)やビッグフットのような不思議な噂話は現在でも人々の話題になることがありますし、、娯楽作品の中では今日でも多くの巨人たちを見ることができます。

前回、今回と話題がヨーロッパに偏ってしまいましたので、次回最終回では日本を中心にヨーロッパ以外の世界各地の巨人エピソードを紹介していきます。お楽しみに。

 

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